以前、
阿字観にいらしたご婦人からいくつか質問がありました。
〇仏教徒ってどういうこと?
仏教を信仰している人のことですが、
信仰と言うのはなかなか難しいものです。
身近で大切な人のことさえ、
完璧に信じることはできない。
キリスト教徒は聖書の教えを守る者、
ということらしいですが、
仏教は実践的かつ瞑想の宗教なので、
仏教的な生活をする者、
というのがよろしいかと。
〇お葬式って必要なの?
これはね、なかなか難しい問題です。
人はひとりで生きているわけではありませんので、
社会的な幕を下ろすためにある程度の儀式はあったほうが良いですし、
親族家族の心を調えるためにも必要かもしれません。
自分の死に際、死にかたを考えると、
いろいろ発見があります。
〇輪廻ってあるの?
紀元前500年ころのインド・ブラーフマナ文献に初めて輪廻の思想が表れます。
バラモン教です。
生き物が死んだ後、
生前の行為である業の結果が次の生となって生まれ変わること。
この生死の繰り返しは「苦」であり、
そこからの解脱を理想とします。
仏教はちょっと違う考えかたを持っています。
輪廻するのは肉体などの物質ではなく、
認識という働きである、ということ。
心は脳という物質の「働き」ですが、
脳が目や耳や鼻などで認識する力の連続、とも言えます。
そこには「自我」という錯覚が生じます。
錯覚ですから常住するものはありません。
だから輪廻する主体が無い。
輪廻するのは、
認識したものが後日別の認識に影響される、ということにすぎません。
その認識は流れとしてはつながっていますが、別物です。
ですから、輪廻とは心がどのように機能するかを説明する概念です。
おそらく、
今現在の修行によってのみ「悟り」や「しあわせ」が得られます。
印象、体験です。
生まれる以前の業や血筋によって私が影響されることはありせん。
自身の努力精進が結果を生むものであり、
努力精進しない人が前世や霊魂のせいにするのでしょう。
そういう意味で人はみな平等です。だれでも悟れるし、しあわせになれます。
心も空であり、固定的なものではありませんから、
輪廻する主体も無いのではないか、
というのが私の考えです。


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