昔のブログ

密教、仏教、精進料理、望診法の

動画はこちら

愛嬌

仏教と密教

野球が始まって、楽しい毎日です。

1981年のセンバツ、
この時僕は18才。

早実に荒木大輔、PLに元巨人の吉村、報徳に金村がいた時代。
大府のエースは槙原。
3連発の人。
この時の群馬・高崎高校エース川端が多投したのがスローカーブ。
キャッチャーが指でサインを出す。

「スローカーブをもう一球」

それが山際淳司『スローカーブを、もう一球』(角川文庫)という名著のタイトルになっています。
この本にはあの「江夏の21球」も収められている。

『文明の作法』(京極純一著・中公新書)の中で、

「人が心をもたないモノであれば、
この世は、電子顕微鏡写真で見る結晶のように、美しく堅固であり、
その部品にも人なかに立つ悩みなどないであろう・・・・」

僕もずっとそう思っていた。

心が無ければ、
アリやミツバチのように、
整然と美しく規律正しい世の中になるのではないだろうか。
彼らも心はあるね。
でも、
心が無ければ、不安も悩みも存在しない。
お互い心が無ければ、
僕があなたを傷つけることもないだろう。
心が無ければ仏教もいらない。

そして仏教は2500年の間、
心を考察し、
心を制御するテクニックを伝えてきた。
それは衆生の抜苦与楽のため。

まあ、あるんだからね。
無いものについて話すことはできない。
で、制御することもできる。

論語の初めに

「巧言令色、すくないかな仁」
(弁舌さわやかに表情たっぷり。そんな人たちに、いかに本当の人間の乏しいことだろう)

「剛毅朴訥は仁に近し」
(無欲と果敢と質朴と訥弁、この四つの性質は仁の徳にかよっている)

孔子さまがこういうことを言ってくれているのが、
ことのほか嬉しい。
愛嬌が無い、と僕はよく怒られるから。

愛嬌は仏教語です。
本来の意味は欲すること、あるいは美しいこと。

『観音経』に、
設欲求女便生端正有相之女宿植徳本衆人愛嬌
(女人が女の子を欲せば、端正有相の女の徳が具わり、
 人々にかわいがられる女の子が生まれる)

と観音菩薩の威神力が書かれています。

OFUSEで応援を送る

コメント

タイトルとURLをコピーしました