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あるがままを体験する

仏教と密教

菩提さとりの心を、
形で観じる時は満月
文字なら阿(ア、a)

阿字観本尊

そこで、
「まず阿字を観じて
 本心の一分の明相を発起し、
 それを次第に清く、明らかにして、
 ついには、
 生死を超えた悟りを身につけるのである」
と『菩提心論』にあります。

『吽字義』には、

字相として、
最初に口を開いて発する音にみな「ア」の声がある。
もし「ア」がなければ、すべての言葉は成り立たない。
なので、「ア」をすべての字の母とする。
つまり、
「ア」が一切の音声の本体であり、
真実は「ア」によって表わすことができる。
「ア」がなければ真実は無く、
「ア」を見ることによって、真実(空)を知る。

字義(真実の意味)としては、
「ア」は字の母であるから、
あらゆるものの名の中に「ア」が入っている。
それらの名をもつものは必ず原因から生じている。
その原因をたどると、
原因の原因があり、
最初の本源は不明である。
なので、
存在の本源を極めると、
あるがままに存在しているものであり、
原因によって生じたものではない。
これを、本不生ほんぷしょう といい、
これを悟るのが、密教の目的。

阿字を観て、
字相を忘れ
字義を忘れ
心を観じ、
言葉を離れ、ぼーっとして、
ただ月輪のみあって、
潔白分明なり、
そこが、阿字本不生。

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