『菩提心論』や『三昧耶戒序』にある勝義(心)は、
存在とは何か、を知ることです。
それは求めるべき最勝の智慧。
事実ではない、
ただ自分が思ったり感じたりした意見や感想にすぎないこと、
つまり妄想が繰り広げられることによって、
限りない欲望が引き起こされます。
それによって、
愚かさの迷いの中に生きることになる。
でも、
事実によって目覚めれば、
妄想が引き起こしている愚かさの迷いは消えます。
もともと、妄想に本性がないからです。
人それぞれにある迷いに応じて、
さまざまな宗教があります。
それは、
病に応じて薬を処方するように、
愚者を救済します。
迷いがなくなれば、
教えは不要になり、捨て去られます。
教えにも、本性がないからです。
『大日経』住心品には、
「もろもろの存在に、
その本性(固定的永遠唯一独立した姿)はない。
虚空のような姿である」
と説かれています。
そして、
一切は縁と条件によって生じたものなので、
本より空です。
モノは定め無きもので空である、と悟れば、
その悟る心も自ら静まり、
すべては平等であり、
これが身体であり、これが心である、
という区別もありません。
大空の三昧(心の安からさ)の中に入り、
自他の区別がない、
静けさの真実の智慧に住して、
なまけ退く心も、なくなります。