もっとも根源的な煩悩は、怠惰、放逸。
怠らず、心をコントロールすれば、悟り。
その心とはどういうものか。
『宝積経』には、
「心は幻の像のようなもの。
虚妄な分別によって、
様々なありかたをとって現れる。
心は風に似ている。
遠く行き、とらえられず、姿を見せない。
心は川の流れに似ている。
停止することなく、
生じるやいなや、すぐ消滅する。
心は灯火の炎に似ている。
因があり縁がそろうと、
燃え上がってものを照らす。
心は稲妻に似ている。
瞬間に消滅して、片時もとどまらない。
心は虚空に似ている。
偶然的な煙などの汚れによって汚される。
心は猿に似ている。
いつも物ほしげであり、
様々な行為・業を形つくるから。
心は画家に似ている。
さまざまな行為を現出するから」
そして、金剛頂蓮華部心念誦儀軌に、
「あらゆるものの本性は皆、自心より起こる。
すべての煩悩も身も世界も、
それらの現象は皆、
幻の如く、焔のごとく、音響の如く、
ともに滅に帰して平等の真理に一致し、
しかも虚空に充満したまう諸仏は、
一瞬の祈りによって驚き目覚めたもう」
とあります。