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結界・悟りを顕す方法

仏教と密教

拝むとき、
道場を結界します。

特別な空間を区切り、
お本尊を迎えし、
拝んで、
解界して
曼荼羅世界へ帰っていただく。

なんじゃ、それは、
というようなもんですが、
これは心の作法。

本来道場は心の中にあり、
本尊は自心のことです。

結界について、『密教辞典』には、
「密教では修行道場に魔障の侵入を防ぐため。
 心内の煩悩を断除して、
 自心本具の仏性を顕現させるのが趣旨」

『秘蔵記』49には
悟りを求める心を起こしてから悟りを得るまで、
常に本来清らかな心を観想し、
他の心を起こさない

というのが結界。

自心の中に多くの仏がいる。
迷いと愚かさのためにそれがはっきりと見えない。
結界して、それを除き、
本来の仏心を開顕します。

中川先生の『中院流諸尊通用次第撮要』には、
「本尊降臨の時に魔障が一緒についてくる。
 それを除くために結界をするのである」

結界することで、
大地のような壊れない境地となり、
もろもろの魔障もこれを動かすことができない、
そうして、
少しの修行の力をもっても大いに成就を得る、

大地中にある一切の穢悪のものも、
この加持力によって清浄となる、

などと拝みます。

『別行次第秘記』には、
悟りの智慧をもって現実に住するのが、結界の始め。
空(無差別無執着)の智慧をもって、
すべてが平等なりと照らす時、
一切の煩悩障礙、治せざるにおのずから滅す。

とあります。

三井先生の『加持祈祷の原理と実修』では、
「仏様を法性の真実在界よりお迎えして供養するところの坐敷をきづく。
 仏さまのお坐敷とは壇で、
 しかもこれは本来行者自身の心中にお迎えするのであるから行者の心壇なのである。
 それでこの壇を築いて、それが悪魔や業障のためにくづされぬようにするのが結界法」

瞑想法は、
姿あるものを象徴的に拝んで
姿ない自心の源底を拝むことへつなげます。

その際に邪魔になるのが愚かさ迷い怒り貪り慢心、
さらには、
体調不良、差別区別、自分中心、自己正当化、絶望、うぬぼれ、心の動揺

それらを防ぐために
懺悔反省し、
自心の本来清浄を観想して、
自心を拡充するために結界します。

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