『声字義』に、
好悪倶異という言葉があります。
好み愛すべきもの、
悪みきらうべきもの、
倶異は好悪のどちらでもないもの。
これらはどれも如来からのサイン、
好ましくないところにも如来の導きがある、
と教わりました。
田中先生は『声字実相義講話』に、
凡人は色声香…の上に好悪をわかち、
一方に愛着し他をきらってすてる。
これを人間対人間の関係として考えてみても、
美醜貴賎善悪をみて
一をとり一を捨てるという間は
相手も私も助からない。
善悪等の差別が分りながら、
しかも一切に価値と調和をみる、
「医王の目には途にふれてみな薬なり」
(見る人が見れば価値がわかる)
の境地になると、
その人にはいつも喜びや自由や幸いがあるのだと思う。
と書かれています。
多くの場合、
どちらでもないもの、
知らないものに囲まれています。
好き嫌いはほんの一部。
そしてそれは、
変わる、変えることができます。
好き嫌いの別が決断材料になることもあるけれど、
そういうことも面倒くさくて、
どっちでもいいや
どうでもいいや
ということもあります。