自心の源底には、
金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅があり、
そこからから真言が出ます。
それを見る(知る、体験する)ことが究極の状態。
曼荼羅は万物の姿で、
金剛界は主体、
胎蔵は客体。
心ともの、
智と体、
自分と自分以外。
曼荼羅には、
容姿のような色形、
坊さんの珠数のようなシンボル
文字、言葉、
働き
などで表現されます。
宇宙も、社会も、自然界も都市も田舎も曼荼羅。
その真実界にいながら、
それに気がつかないので、
いろいろ勉強トレーニングして、
あらゆるものが曼荼羅
真実の顕現であるという
印象、発見に至ります。
悟りは、
よそからくるのではなく、
自心から生じます。
自身は仏のおこない、ことば、おもいの体。
何かをしようと思ってするように、
覚ろうと思ってさとります。
「近くして見難きは我が心」
「細にして空に遍ぜるは我が仏なり」
「我が仏思議し難し」
「我が心広にして亦大なり」
以上、『十住心論』第九
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