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元からある智慧、後から得た智慧

仏教と密教

眼という器官が、
モノを見ることで、
それを知り、認識するのが眼識。

同じように、
耳識、鼻識、舌識、身識、意識があります。

迷いの立場(凡人)では、
それらが知る、認識するものに差別があり、執着があり、
その結果、迷います。

悟りの立場では、
それらはみな平等で、無執着。
それぞれの識が智慧になります。

迷いとは、
個々の現象を分析して認識することで、
悟りとは、
存在全体を直観的に把握するものです。

迷いの現実(現象世界)で、
知る、認識することのよりどころとなるものが、
僕らが生まれてきてからえた知識経験による智慧。

悟り(真如の世界)で、
よりどころとなるものが、
元からある智慧です。
これは迷い煩悩に関係なく、
迷い煩悩を身にまとったままの真理体。

自性清浄心とか、一心とか、仏心と云います。

両方とも心の中にありますが、
悟りの智慧は忘れているので、
思い出すために瞑想修行などのトレーニングをします。

☆ofuse(お賽銭)箱

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