眼という器官が、
モノを見ることで、
それを知り、認識するのが眼識。
同じように、
耳識、鼻識、舌識、身識、意識があります。
迷いの立場(凡人)では、
それらが知る、認識するものに差別があり、執着があり、
その結果、迷います。
悟りの立場では、
それらはみな平等で、無執着。
それぞれの識が智慧になります。
迷いとは、
個々の現象を分析して認識することで、
悟りとは、
存在全体を直観的に把握するものです。
迷いの現実(現象世界)で、
知る、認識することのよりどころとなるものが、
僕らが生まれてきてからえた知識経験による智慧。
悟り(真如の世界)で、
よりどころとなるものが、
元からある智慧です。
これは迷い煩悩に関係なく、
迷い煩悩を身にまとったままの真理体。
自性清浄心とか、一心とか、仏心と云います。
両方とも心の中にありますが、
悟りの智慧は忘れているので、
思い出すために瞑想修行などのトレーニングをします。
コメント