仏教には、
あれでもない、これでもない、
と否定することで真実を表す方法と、
あれもOK、これもOK、
と肯定しながら真実を表す方法があります。
それぞれが真実を表す両面として、
否定してたどり着いたところから肯定する、
という考えかたもあります。
『吽字義』に、密教の表徳面として、
同一であって、而も多数であり、多数であって、しかも同一である。
さとりの当体は無数であり、さとりの智慧は限りがない。
降る雨滴は数多いが、それらはいずれも一つの水に過ぎない。
灯の光は無数であるけれども、その光はひとつに溶け合っており、区別することはできない。
ものと心は、量り知ることができず、
その真実の姿は、はてしがない。
それらは無限に重なり合い、
理解しがたいが、それぞれに仏の五智をそなえている。
そして、多数であって異ならない同一のものであり、
しかも異ならないものでありながら、多数として現れる。
悟りの世界では、
本来はすべて無差別・空であり、実体は無いけれど、
現実の世間では、
そのままに存在しているものが真実である、
そして、それらは必ず生じては滅する、
ということかな。
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