曼荼羅(悟りの世、すべてを具足して調和しているもの)には、
その表現方法に、いくつかの種類があります。
仏の姿をイメージした大曼荼羅。
これは、拝む人が深い精神集中の状態で、寂静平安になっている心の状態。
つまり、自心=仏心=曼荼羅=自分がいる世界。
仏具などのシンボルで表した三昧耶曼荼羅。
これは、合掌や手で印を結ぶこと。「それ」と似ているものの曼荼羅。
梵字などで表した法曼荼羅。
真言、経典儀軌、秘密の教えが、つまり文字が法曼荼羅。
仏像などで表現する羯磨曼荼羅。
僕らが活動すること、それが動く曼荼羅。
この四つは各不離、『即身義』には、「即」のこと、
と書かれています。
空間と灯火がさまたげなく、逆らうこともないようなこと。

悟りの世界である曼荼羅は、どこかに生まれたり、滅したりするのでしょうか。

『吽字義』(ha字)に
あらゆるものは変化し展開し、原因によっている
留まることのないことが、あらゆる存在の根本
あらゆる存在の原因が、究極的には認識されえない。
あらゆる存在は自らの心が作り出した。
このような心の真実の姿は、仏の悟りの智慧である
あらゆる存在は悟りの世界であり、
さとりの世界そのものが現実の存在にほかならない。
随って固有の本体としての原因などは存在しない。
曼荼羅(悟りの世)は、生じないという在りかた。
ちょっと落ち着いて、ほっと見れば、
ただ、ありのままに在る、ということ。
今ここに在ること。
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