木村泰顕博士の『仏教の解脱論』に
「禅の悟りというのは究り精神統一力に依りて
その真我に到達し冥合した場合を指すものである。
奥義書では、この真我を直ちに妙楽と名づけておるが、
いかにも禅宗の悟った人の経験を聞いても見ても、
この域に到るとなんともいえぬ歓喜を感ずるということである」
85頁
あの時、感覚や意識があるのだろうか。
インドの聖者は三昧の時に神を見る、逢う。
強い放棄が必要らしいけれど。
それと似ているのだろうか。
食事と睡眠を制御して、
長い期間拝んでいると心身が変わります。
脳が変わる。
だから、いろいろな体験をします。
徳島で会った求聞持行者は、
悟りの瞬間
感覚は何もない。
気持ち良いも楽しいも苦しいも、何もない
と言っていました。
会津でお世話になった曹洞宗の住職は
すべて妄想だ、
と言い切っていました。
何かに集中していると、
あっという間に時間が過ぎていることがあります。
または、
ずいぶん時間がたったと感じていたのに、
ちょっとしか時間がたっていない、
ということもある。
いずれにしても、
その間、無限で透明。
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