エゴマの花が咲き始めました。
『般若心経』にも登場する、
色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)を六塵と云います。
心を染め汚すものだから塵という。
感覚器官、もしくはそれを刺激するものですね。
視覚と視覚刺激、聴覚と聴覚刺激・・・。
見えるものには、色形動きがありますが、
それは見る、見えるだけ。それが色塵。
何か音が聞こえたら、それが声塵。
その中で、
見えたそれがネコだと判断するもの
聞こえたその音が鳥の声と判断するものが法塵。
法はサンスクリット語のダルマ( dharma)の訳で、
意味は、保持するもの。
多くは、真理を指します。
法塵の法は、
思考の対象、自分が関心をもった全ての物
のこと。
見たものと見られたもの、
聞こえたものと聞かれたもの、
思ったものと思われたもの、
この感覚と本体の関係は真実である、
というのが達人の立場。
なぜかといえば、
感覚として受け取るものは、すべて如来の説法だから。
凡人(の時)には心を汚す塵(迷い・煩悩)だけれど、
達人(の時)になれば説法。