街に唐揚げ屋さんが増えましたね。
揚げ物はごちそうなので、
毎日ではなく、
ハレの日に食べるようにすれば、
いろいろ身心に良いだろうなあ。
それはさておき、
唐揚げ、
とフリガナを振れば読みかたが分かります。
ウチでは、
あの食べ物を「かにゃにゃぎゃ」と呼ぶので、
唐揚げ、とフリガナを振ります。

お経本にある真言のフリガナはそんな感じ。
元々の音・読みかたとはずいぶんと違う。
何年も伝わるうちに、
読み癖、訛りが重なったのでしょう。
全く通じないレベルになっているかもしれない。
ところで、
真言や陀羅尼を漢訳しないで、
梵語のまま唱えるのは、
異国風で霊験あらたかに聞こえるからです。
洋楽の歌詞は分からないけれど、
かっこいいから好き、
みたいなものかな。
真言陀羅尼は悟りの内容であるから、
誤解間違いを避けるため、
未熟なものには秘密にして訳さない、
という意見もあります。
とてもありがたいものなので、
凡人が覗いたらバチがあたる、
ということかな。
でも、
その悟りの内容を説ける、
修行のできた人はいるのでしょうか。
会ったことないけれど。
一文字に多義があるから、
当時の中国には無い概念だから、
だから訳せない、
ということはあるかもしれないけれど、
その場合は、
そのままの音で、
どんな意味があるかを知って
唱えればよい。
意味を秘密にしたとしても、
発音は正しくなければ、
それを唱える意味がありません。
ちなみに、
写真の最後にある真言を
私は毎日唱えていますが、
ローマナイズすると
oṃ mahā-kāruṇikāya svāhā
オーン マハーカールニカーヤ スヴァーハー
を
おん まか きゃろにきゃ そわか
と唱えます。
oṃ は、法身、報身、応身の仏身のこと。
mahāは大
kāruṇikāyaは慈悲を持つもの
svāhāは讃嘆
おん まか・・・・
と訛っても構わないけれど、
本来の音と意味を知って唱えましょう。
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