迷っている人間でも仏性がある、
というなら、
じゃあ、どうしたらよいのだろうか。
迷っている人間であるけれども、
自分の細胞ひとつひとつの中に、
自分を包む自然社会宇宙の中に、
広大無辺な仏の慈悲と智慧があります。
自身の生命や創造力、
周囲の音色動きなどとして。
その中にいる僕らの心を分析し、
こういう状態の心なら
こういう修行が向いている、
と判断して、
感覚・感情を智慧に転換します。
その状態が成仏。
いかなる存在も
それが心から独立に存在していない。
心に映しだされている限り、
心の対象となります。
いかなる存在も仏性があり
それが顕現することは可能である、
と考えられます。