目が桜の花を見て、
耳がウグイスの声を聴いています。
聞くのも見るのも、
聞いた声がウグイスであると判断することも、
見たものが桜と判断することも
心を染め汚すものです。
『声字義』には、
愚者はこれ(見たり聞いたり判断したりすること)に執着して
貪り瞋り愚痴などの迷いを起こす。
智者はそれらの因縁の実相を観じて、
取らず捨てず、
あらゆる分別を離れて、
よくいろいろの法界の曼荼羅を建立し、
自ら仏としての広大の事業をなし、
諸仏を供養し、衆生を利益する」
とあります。
神経の末端にある目や耳から
大脳の菩提心に届くとき、
それに執着せず、それに染まらず、
ただありのままに味わいます。