あらゆるものは本来清らかである、
買ったばかりの白いシャツのように。
そして、
肉体は仏の住居、
と考えます。
そこが、
貪り、怒り、愚痴、慢心、邪見などで汚れるから、
身・口・意を浄める瞑想によって洗い清め、
好ましくない行い、言葉、想いの匂いを取り除きます。
そういうふうに考えて、拝みます。
本来、「いのち」という一つのものに、
仏(悟り)と私(迷い)という両面があります。
その間隔が大きいほど、本来の仏性(悟りの可能性)が隠れます。
イメージしましょう。
世界の一切は、本来清らかなので、
私の本体も清らかである、と。
oṁ svabhāva śuddha sarva-dharma svabhāva śuddho ‘ham
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