僕もあなたも宇宙であり仏である、
の続きです。
我即法界
我即大日
というのが密教の立場。
法界:dharmadhātuを
『密教辞典』で引くと、
「意識の対象となる一切の境界
法は意識の働く対称であり、
諸法はそれぞれに自性が異なる存在である点で界という」
法界を、
聖なる世界からみれば真実
俗から見れば、全ての存在
と考えています。
観想では、
法は六大
界は蔵(入れもの)
地水火風空識の六大は万物の本体。
地:個体・一切のよりどころ
水:液体・清涼で熱悩を去る
火:力 ・無知の薪を焼く
風:気体・一切の迷いの塵を除去する
空:空間・一切の分別を離れて、染まらず、こだわらない。
それが一切智々(識大)
母親に、
ママ、おかあさん、母ちゃん、
といろいろな呼び名があるように、
真如・実相にも、
悟り、宇宙 法界 大日如来 六大 我 仏 自心(自性清浄心) 虚空
等の呼び名があります。
密教では、
ゴールに立つ人から見れば、
六大も法界も、法身の三昧耶身
と考えます。
本尊も法界も私も衆生も魔界も同一平等一味。
一塵の中にも六大があり、
生きるということは、
それが私の中に入ること。
そして、
私のそれが宇宙に入り、
その逆もある。
思っていることは遍満している、
ということ。
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