真実とは何か。
あれでもないこれでもない、
探っていくと最後のひとつにただりつきます。
では、
そのひとつはどこからどのようにうまれたのか。
ひつつだから縁起の法則は成り立たない。
自然に生じたなどは外道の考え。
すると、
本不生 という世界。
現実世界のあらゆるものの真実は本不生。
その辺のところ、
加藤精神先生は『仏教哲理の発達』で、
生じては滅するものに本体(真実)はない、
現に生じているのは仮生仮滅である。
無限の世界とも考えられます。
何もないけど全てがある。
何も感じないけど包まれている。
部分と全体が不二。
その時、
自分は「無い」。
大山公淳先生は、
『弘法大師の六大體大説』で、
その本不生とは何をいうか。
要するに一切を否定しつくした、終局の原理を意味するので、それを現代の語にかえて言えば純粋生命とすべきである。
世界は地水火風空識の六大から生まれていますが、
それは純粋生命。
目の前のパソコンが実際に見えるようにではなく、
直観する世界。
集中力と判断力が高い時、
ああ、
これだ、
という印象をどこかで持ちます。
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