世界は、
瞬間瞬間に、
無限(心)から有限(仮)が生まれている、
という考えかたがあります。
無限だから虚空のようで
何にも染まらず
区別差別なく、ひとつの全体
自性清浄。
これが、菩提心です。
『菩提心論』に、
迷いの身体のままで円満な悟り、
仏の位を証すことができるとして、
菩提心を修して身につけ、
その働きが出現すれば、
自然にすべての導き手となる。
あらゆるものの本質である
菩提心そのものの意味からいえば、
導くもの
導かれるもの
のあらゆる対立が無くなるため、
この人の世の中が、
そのまま仏の悟りの国土となる。
とあります。
『金剛頂経』では、
oṃ citta prativedhaṃ karomi
「私は心をよくよく観察する」
という真言を好きなだけ唱えることで、
菩提心がうっすらと現れ、
oṃ bodhi-cittam utpādayāmi
「私は菩提心を発す」
という真言によって、
菩提心そのものになる、
唱える真言の意味そのものになる、
と説きます。
菩提心は悟りを求める心ではなく、
菩提心がそのまま私の心。
菩提心は現実の私の心であり、
それが最高の真実、実在、大日如来そのもの、
と考え、瞑想、直観します。