坐法(正坐、結跏趺坐、半跏坐など)では、
腰が身体の最下部。
椅子では腰から足。
立位では足。
全てのよりどころである大地とつながっているから、
足腰は大地の延長と考えます。
そこに植物が育ち、川が流れ、動物も生きている。
大地が無ければ何もない。
全ての拠り所は、
安定した形の立方体のイメージ。
そこから生じたり滅したりする、存在の基本。
大地から生じて滅するとすれば、
大地は生じないありかた、不生不滅を考えます。
金色に輝く大地が足腰。
拝んでいる時も、
仕事をしている時も、
遊んでいる時も、
食事入浴の時も、
いつでも足腰=大地=すべてのよりどころ
そこから始まり、そこへ帰る、
と観じます。
この地大(全てをささえ、よりどころとなるもの)
が身につけば、仏の身体を理解するでしょう。
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