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密教、仏教、精進料理、望診法の

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瞑想

仏教と密教

無から有が生まれる

見るものは仏(悟り)の象徴聞くものは真言陀羅尼(仏の説法)そうして、見て聞いて生じる心は真実。この心と真実と本尊は同じです。もちろん、この真実も実体はなく形無く、言葉と心から離れている、ただ、ありのままにある。そんな感じ。それはさておき、あ...
仏教と密教

みんな平等という瞑想

平等というのは、冷静に相手を見て、動揺しないこと。僕らは普段、自と他、主と客の間に差別があり、自・主にあつく、他・客を忘れる。この差を減らす瞑想のひとつ。平等と知れば怒りが消えます。すべての存在は、自分と自分のもの主観と客観(見るものと見ら...
仏教と密教

光とsamādhi

サマーディと読みます。旧訳で三昧新訳は三摩地坐禅瞑想の最終局面のこと。元々の言葉の意味は組み合わせること結合させることこれが真理への深い瞑想ということになります。栂尾先生は三摩地こころまとめと訳しています。「その境地の明亮なること、 なおし...
仏教と密教

真言密教の基本

『蓮華部心念誦儀軌』に、諸法あらゆるものの性さがは皆自心に由る迷いおろかさ、自他の隔たり、身体、感じ、思い、計らい、識別感覚器官と感覚能力、それらはすべて、幻、陽炎、蜃気楼、空谷の響きのようなもの、先っぽに火のついた縄を、勢いよく回すと見え...
仏教と密教

私は海

イメージしましょう私は海。大きく広く深く、たくさんのいのちをはぐくんでいる。表面は、愚かさや迷いの風によって波立つけれど潜れば寂静平安。水は清涼で、熱悩を冷まします。慈悲の水、言葉をはなれている。私の心とはそういうもの。お布施ボタン
仏教と密教

微細な我

それは、愚かさの迷い・もろもろの煩悩の根本。『菩提心論』に「無始の間隔けんきゃく」と説かれている微細な我。栂尾先生の訳では「無始むかしよりこのかた、衆生と仏を間隔へだてする微細の一惑まよいあるがために 如来の一切智々すべてをしるちを身につけ...
仏教と密教

イメージ・私は富士山

姿勢よく坐ってイメージしましょう。私は富士山どんとそびえ、姿勢よく、美しい姿。呼吸は、不動の大地に感じるような、ゆったりとした腹式呼吸。つながる大地は存在の源、仏心地、一切のよりどころ。みな、その上にある。裾野を見ると静岡、愛知、岐阜・・・...
仏教と密教

心の循環法

私があなたの名前を呼ぶ。その声を聞いたあなたは、振り返り、微笑む。そして、あなたも私の名を呼ぶ。その声は、私の耳から心へ届き、私も微笑んで、心安らかになる。自分の口から出るすべての音声について、そう観想します。お布施ボタン
仏教と密教

有無を知れば解決する

一字金輪仏頂の真言は万能です。あれもこれも、この真言でOK『中院流の研究』には、五百里内において余の尊法を修行するものの功徳をよく招き集める日輪出でて多くの星の光を奪う如しとあります。 namaḥ samanta-buddhānāṃ bhr...
仏教と密教

仏道を修すこと

『遺誠』に、「かくの如くの諸の戒は十善を本となす。 いわゆる十善とは身三語四意三なり。 末を摂して本に帰すれば、一心を本となす。 一心の性は仏と異なることなし。 我心と衆生心と仏心との三心、差別なし。 この心に住すれば、すなわちこれ仏道を修...