昔のブログ

密教、仏教、精進料理、望診法の

動画はこちら

瞑想

仏教と密教

観想してみよう

見えるものは仏のmudrāからだしあわせ、平安、真実のあらわれ。 見えるものは悟りのシンボル、夜から朝になって明るくなれば見えてくる。仏教徒の数珠のようなもの料理人の包丁のようなもの イメージしましょう。聞こえるものは仏の言葉マントラ 自分...
仏教と密教

念誦瞑想は布団の中で

陰性な季節や、陰性な体調なら、陽性な姿勢で拝むといい。 というわけで、 夜でも昼寝でも、 寝つくまで途中で起きた時目覚めた時 布団に入ったまま、上を向いて真言念誦し、観想します。 唱えた真言が口から出て部屋中にゆきわたる、部屋中が真言・仏さ...
仏教と密教

ありのままのありかた

密教で大切なのは、この世のあらゆることは変化して、不変ではなく、原因と条件とによって生じては滅し、他に創造主や万物を生み出す根源などは無く、始まりもなく終わりもないまま縁起によって仮に存在し、仮に滅する、 ということを直観すること。 この直...
仏教と密教

結界・悟りを顕す方法

拝むとき、道場を結界します。 特別な空間を区切り、お本尊を迎えし、拝んで、解界して曼荼羅世界へ帰っていただく。 なんじゃ、それは、というようなもんですが、これは心の作法。 本来道場は心の中にあり、本尊は自心のことです。 結界について、『密教...
仏教と密教

立禅・坐禅、立つ坐るの違い

陰陽望診法で考えると、二本足で立つヒトは、四つ足動物より陰性。 立つのは上に向かうのですから陰性。坐るのは陽性寝るのはもっと陽性なので、陰性な体調なら立っているのはつらく、寝ると楽になります。 陽性な体調なら立っているほうがうまくいくかもし...
仏教と密教

境地

迷いと悟り地獄と極楽善と悪好きと嫌い自分と自分以外 そういうものは本来同じである、見かた立場の違いである、という考えかたがあります。 最初の思想としては、そうなのだけれど、 心の観察が進むと、 迷いと悟り、地獄と極楽の区別がつかないことでは...
仏教と密教

月を拝む意味

悟り(しあわせ)とは自心を知ること。 自心とは満月のように、 円満、潔白、清浄、清涼、明照、独尊、中道、速疾、巡転、普現。 私は、本来そのようなもの。 月は雲に覆われることがあるけれど、 その向こうに月はある。 自心は愚かさの迷いに覆われる...
仏教と密教

無から有が生まれる

見るものは仏(悟り)の象徴聞くものは真言陀羅尼(仏の説法)そうして、見て聞いて生じる心は真実。 この心と真実と本尊は同じです。 もちろん、この真実も実体はなく形無く、言葉と心から離れている、 ただ、ありのままにある。 そんな感じ。 それはさ...
仏教と密教

みんな平等という瞑想

平等というのは、 冷静に相手を見て、動揺しないこと。 僕らは普段、 自と他、主と客の間に差別があり、 自・主にあつく、他・客を忘れる。 この差を減らす瞑想のひとつ。 平等と知れば怒りが消えます。 すべての存在は、自分と自分のもの主観と客観(...
仏教と密教

光とsamādhi

サマーディと読みます。旧訳で三昧新訳は三摩地坐禅瞑想の最終局面のこと。 元々の言葉の意味は組み合わせること結合させること これが真理への深い瞑想ということになります。 栂尾先生は三摩地こころまとめと訳しています。 「その境地の明亮なること、...