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密教、仏教、精進料理、望診法の

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仏教と密教

仏教と密教

拝む場所・すべてはリモート

拝む対象である仏、本尊とは何か。 「自心はすなわち実相なり。 実相はすなわち本尊なり。 本尊はすなわち自心なり」(秘蔵記75) 「我が本来自性清浄の心は、 世間出世間において 最勝最尊なり。 故に本尊と言う」(同41) 「この人(観自在菩薩...
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瞑想と念誦の心得

勉強は頭で、拝むという実践は身体で受け止めます。 密教の拝みかたには、心の統一法である瞑想と、聖俗の循環法である真言念誦があります。 拝む時以外に勉強したことは、その時に脳内にしみこませます。そして、瞑想時は、ただ拝む。 「観法の時は別に義...
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差別に反対する理由

全ての存在に仏性がある、如来蔵である、というのは、全ての人は、人格の完成と、しあわせになる可能性をもっている、ということ。いくつか引きます。 「六道四生の一切有情はみな如来蔵を具す」(慈無量観) 「一切有情は如来蔵なり」(理趣経第十二段) ...
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密教の拝みかた

私のような愚か者凡人にも、素晴らしい価値があり、尊いいのちである、と密教では云います。 さらに、僕らが拝むのは凡聖不二観、自分と仏が平等で、間隔(仕切り)が無いことを探求します。そして平等で仕切りがないから自分=仏、成仏(人格の完成)します...
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簡単にうぬぼれない、絶望しない

どんな宗教でも無宗教でも、先祖のため(先祖供養)とは、「立派な人になること」と考えています。僕が先祖なら子孫には、そうしてもらいたい。 達人から見れば、皆もともと仏で、立派な人です。凡人の立場では、勉強修行したらみな仏、立派な人になれる。 ...
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生死涅槃無別、または死後の世界

死んだらどうなるのかを考えてみると、私が死んだら私のいない世界になります。これは、私が生まれる前と同じで、その時も、私はいない世界でした。 重要なのは、生じたものは滅するということで、これは世間の真実です。モノもいのちも心も、生じたものは滅...
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歓喜したい

『釈論』に信の十義があり、その中に「歓喜」があります。信心すると、くよくよ心配ばかりということがない。 『理趣経』は般若(智慧)と方便(慈悲行)により、一切を清浄にすることが説かれています。その最後に、「皆大歓喜信受行」とある。その前の文か...
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微笑んで拝む

口を閉じて舌先を上あごにつけ、鼻でゆっくり呼吸をします。そうして腹式呼吸を3回。 心ゆくまで拝んだら、そっと口元を緩め、微笑みます。 心が変わり、ホッとします。 緊張と弛緩をほどよく保つのが、拝む時の極意。緊張過ぎると雑念が増え、弛緩し過ぎ...
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奉送と解脱

ご本尊さまをお迎えして供養し、心ゆくまで拝んだら、お帰りになる仏さまを、お送りします。 その時の作法が撥遣はっけん。 本来は、心の中の道場に、心の中の本所から本尊が来て、拝んだ後に、その自心内の仏が、心内の本土に還る、ということ。 仏さまを...
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罪悪感のある人に聞こえる

拝んでいると、仏の働きと生命が、身の内からあふれ出ます。内側から仏が出てくる。その辺のことを『蓮華部心念誦軌』には、「諸の如来弾指驚覚して告げてのたまわく 善男子汝が所証の所はこれ一道清浄なり」 『声字義』には、「衆生痴暗にして自ら覚るに由...