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密教、仏教、精進料理、望診法の

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仏教と密教

仏教と密教

怠らず制御する

もっとも根源的な煩悩は、怠惰、放逸。怠らず、心をコントロールすれば、悟り。 その心とはどういうものか。『宝積経』には、「心は幻の像のようなもの。 虚妄な分別によって、 様々なありかたをとって現れる。 心は風に似ている。 遠く行き、とらえられ...
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何が正しいのか

『般若心経』に説かれる阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい。サンスクリット語:anuttarāṃ-samyak-sambodhiṃの訳。意味は、最も優れた正しい完全な悟り。無上正等覚むじょうしょうとうがく、正覚などとも云います。...
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宇宙とミキサー

炊いた炒り玄米、豆腐、玉ねぎ、梅酢、醤油、こしょうをミキサーして作る玄米ドレッシンング。夏野菜にも使っています。 このドレッシングはノンオイル、辛味酸味RBAがあり、時間がたてば発酵して、滋養になります。 それはさておき、 僕らは生まれてか...
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この世界は

密教は、全てに仏性がある、という立場です。「全て」には人はもちろん、動物植物鉱物無機物も含まれる、と考えています。参考:ウイルスと仏性 そして密教には、我即大日我即法界などの言葉があり、全ては真理(大日如来)の顕現である、全ては如来のいのち...
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迷いの大物

それを『菩提心論」では無始の間隔けんきゃくといっています。「始まりの無いくらいの昔から、 衆生と仏とを隔てる微細の迷い(自我)があるがために、 すべてを知る智を身につけることができない」 自心は仏のように虚空のように無限の可能性をもっている...
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みちをもとめる。

このみちは、最勝の智慧。 自分だけの小さな心から、だんだんと広がっていく智慧。 欲望だけの心から、倫理道徳の心、我の宗教心、無我の宗教心と、心が変わる智慧。 『一切経開題』に、「修行の人、すべからく本源を了すべし。 若し本源を了せざれば学法...
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気が散る時はどうするか

もし、精神集中・精神統一できないのなら、イメージしてみましょう。 口から出る息が、すーっとどこまでものびて、宇宙全体に広がります。 その宇宙からの空気が、スーッとやってきて、自分の鼻に息が入り、自心に収まる。 そうして 呼吸の息は宇宙に遍満...
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いざという時のために

『ミリンダ王の問い』からもうひとつ。 修行にどんな意義があるのか、とミリンダ王が尋ねます。苦しみを滅する修行なら、苦しみがやってきてから修行すればよいではないか。苦しみがないのに修行する必要はあるのか。 ナーガセーナ長老が答えます。 時が到...
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ミリンダ王の問いと覚鑁さん

『ミリンダ王の問い』(Milinda Pañha:『ミリンダ王問経』『那先比丘経』)という経典があります。紀元前2世紀ころ、インドにも勢力を広げていたギリシャのミリンダ王と、インド人の比丘ナーガセーナ長老の問答。東西の思想が交流し、読みなが...
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合掌

合掌は、お願いのポーズゴメンゴメン、と謝罪のしぐさ。 元々は敬礼作法。礼拝、挨拶の姿。右手が 仏、智慧(悟り、ゴール、自心を知ったレベル)左手は衆生、禅定(トレーニング、自心を観察する) この両手が合一するのは、仏と衆生融会の姿、すなわち成...