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密教、仏教、精進料理、望診法の

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仏教と密教

仏教と密教

無染無着

清らかということです。誰にでもある自性清浄心のこと。 染まらない執着しないこれが成仏の方法 具体的には、事実と事実でないことをわけられる。無いものを有ると思わない。 比べないこと、マイペースで勉強すること。こだわらない、 努力工夫したけれど...
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安楽行と回向

旅行は計画中から楽しい。出かければ旅先で観るもの聞くもの食べるものみんな楽しい。帰ってくれば、楽しかったねえ、と思い出す。 好きな人、尊敬する人に会う時、前日はドキドキして、当日はウキウキして帰宅すれば、心満ち足りる。 拝むこと、修行、勉強...
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桜の花、ウグイスの声

色声香味触法の六塵、愚者は迷い、智者はよく悟ります。
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心は休まない

大脳から神経が伸びて、その端っこに目と耳があります。顔の目と耳の上に大脳があるのは、そういうことなのだろうか。 それはさておき、脳の働きを心と考えるなら、心は常に動いています。脳は、心臓と同じように、生きている間は止まらないから。 五感と意...
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内外の六大と いのち

宇宙は六大の蔵、すべては六大所生、密教はそういう立場です。 地水火風空識の六大個体、液体、エネルギー 気体、空間、心 固いもの よりどころ潤うもの 育てるもの熱いもの 燃えるもの流れるもの 広がるもの 包むもの一切を知る智慧 識(心)を表現...
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皮膚の話

頭のてっぺんから爪先まで、身体は皮膚に覆われています。一枚の皮膚で。なので、顔も手も足も背中も足の裏も、つながっています。どこからどこまでが頭で、どこからが手なのか、足なのか。ここ、という場所があるのか。皮膚の立場で見れば、全体が同じ一枚の...
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自由な心

菩提を求める僕らが、慈悲と智慧(向上心)の瞑想によって得られるのは、自由な心です。 それは、無意識に呼吸し、代謝し、血液が流れるように、歩くときには右足と左足が、交互に自然と出るように、お腹が空き、眠くなり、成長し、いつか死ぬように、あるが...
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愛しているもの

矜持、品格、羞恥、 高潔、孤高、清廉、 できれば、無欲 つまりは 孤独 お布施ボタン
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私とは何か

『菩提心論』や『三昧耶戒序』にある勝義(心)は、存在とは何か、を知ることです。それは求めるべき最勝の智慧。 事実ではない、ただ自分が思ったり感じたりした意見や感想にすぎないこと、つまり妄想が繰り広げられることによって、限りない欲望が引き起こ...
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A(あ)の交流

夜、寝つく前、朝、目覚めた時、電車に乗っているときなど、心中央(両乳首の間)に光る満月をイメージします。ただただ強く観じます。そして、自分が満月そのものになる、とイメージします。満月は、悟りの心を形で現したもの。そして、唱えます。 oṃ a...